マユネ地区の品質向上に大きく貢献したヴェルジュ。
シャルドネの天才と呼ばれるヴェルジュの造る赤ワインです。
■ヴェルジュ
17歳で未ジュ学校に通い、建築家になったという
経歴を持つ、ジャン・マリー・ギュファン氏。
ベルギー出身の醸造家である彼が、マコネ地区に来なければ、
マコネは今ほど注目される事はなかったかもしれません。
彼がマコネに現れたのは1980年のことでした。
ドメーヌ・ギュファン・エナンを設立して、
安価ワインが多かったマコネ地区でありながら、
この土地のポテンシャルを今まで誰も造れなかったレベルまで引き上げました。
その後、1990年に「ヴェルジュ」の名で
ネゴシアン業をスタートさせると、
ブルゴーニュにすい星のごとく現れた天才と騒がれることとなりました。
■ブルゴーニュのネゴシアン

安価なワインが当然であったマコネ地区では、
区画にこだわらずブドウはまとめて醸造されていました。
ブルゴーニュの伝統的なネゴシアン業は
「ワインは樽で買う」が主流でした。
しかし、これではブドウの質や醸造過程などを
チェック出来ず、ワインの質は上がりません。
そこでギュファン氏は、最高のワインは最高のブドウから、
という信念のもとに彼は、ブルゴーニュ地方を北はシャブリから
南はマコネまで横断して、畑の規模は問わずに、
彼の栽培方法に賛同できる栽培農家達と契約を結びました。
収穫前には自ら畑に出向いて
ブドウの糖度、酸度をチェックしてから収穫日を決定。
小さな容器を使って、手摘みで収穫されたブドウを購入して、
自分でワインを造る方法を実践しました。
当時では、ブドウ自体を買うネゴシアンは非常に珍しく、
世界中から、ヴュルジュは注目を集めるようになります。
■南のヴュルジュ

ドメーヌ・ギュファン・エナンとヴェルジュの成功後に
ギュファン氏の新たなチャレンジとして、
1997年にローヌ地方のリュベロンにある、
シャトー・デュ・トゥレットを購入しました。
白ワインの造り手として地位を確立した
ギュファン氏の赤ワインつくりがスタートしました。
彼が惚れ込んだ、シャトー・デュ・トゥレットの畑は、
長期に渡って人の手が入っていないため、
荒れ果てた土地となっていました。
畑造りから始めたギュファン氏は、
その土地に植えられていた、多産型のクローンなどの
ブドウの樹を全て引き抜き、5年の歳月をかけて、
見事に畑を蘇らせました。
当然、ワイン造りはブルゴーニュでのこだわりそのままに、
手摘みでの収穫、厳しい選果、自然酵母での醗酵と木樽による醗酵、熟成。
こうして造られたワイン達は、南のヴェルジュと呼ばれるようになります。
■ヴェルジュ・ド・スッド
シャトー・デュ・トゥレトは、ファーストラベルとして造られ、
若い樹齢のブドウからセカンドラベルである、レ・トゥレットを醸造。
区画同士のブレンドによって造られたのが、ヴェルジュ・ド・スッドです。
このワインのラベルには、「Au Fil du temps」・「As time goes by」の文字が書かれています。
時の過ぎゆくままにという名前を持ったこのワインは、
ヴェルジュのラインナップの中でもまだまだお手頃価格で楽しめる一本です。
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