追憶『第3章』
2010年8月27日
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第2章からの続き
私は国文学を学んでいたので卒業論文などはとても興味深く面白いものだった。
子供の頃から、どちらかと言えば外国の文学に触れる事が多かったので、
最初は日本文学の何を題材にすればよいのか全く見当がつかなかった。
しかし、私の前に「谷崎潤一郎」が現れた。
彼の初期の作風は耽美主義と言われ、作品の三本柱は「サド・マゾ・フェチ」。
煩悩が赴くままに私は大変な興味を持ち、彼こそが私のテーマに違いないと確信したのである。
そして、私がそれまで読んできた外国の文学のジャンルの一つに、
「谷崎」との意外な共通点も見つけたのだ。

「ポー」や「ワイルド」などのいわゆる「悪魔主義文学」と位置される作品だ。
現実では起こりえない、ようはホラーである。
誤解されるといけないので、私はホラー以外の作品も読んでいるし、
悪魔崇拝者でもないことだけ付け加えてさせて頂こう。
日本近代文学に「悪魔主義文学」と呼ばれるジャンルの作家はほとんどいない。
せいぜい「泉 鏡花」くらいだが、「悪魔」というよりは「幻想」の世界だ。
「谷崎」の作品は「泉 鏡花」と比べても全く現実的であるし、
外国の「悪魔主義文学」に比べれば尚更日常的で、
さらっと読んでしまえばホラーの要素などまず見つからないが、
一部で「悪魔主義文学」として扱われていた。
私はなぜ「谷崎」が「悪魔主義」と呼ばれるのかを、
谷崎の自伝的作品ともいえる大変現実的な作品、『異端者の悲しみ』を題材にし、
彼の中に潜むマゾヒズムと「悪魔主義」との関連性を自分なりに紐解いたのである。
この研究について書き出すと、止まらなくなるので次の機会にとっておこう。
私に、こういった研究や文章を書く面白さ、興味を教えてくれた人物がいる。
担任ではないが、高校時代の恩師、国語の先生だ。
高校時代のある日、私はその先生から茶道部に入らないかと誘われた。
「お前は運動系ではないだろう。」
預言者のように学校の廊下に立ちはだかり、唐突に話しかけてきたのだ。
短距離走だけはリレーの選手に選ばれるほど速かったが、
体育、運動会、スポーツに関する事は大嫌いだった。
しかし、とくに茶道に興味がある訳でもなかった。
困惑気味の私に、「もう既に決定事項である。」と言わんばかりに、
「ずっと部員が集まらず休部していたが、新たに発足するから頼むな。」
というような事を告げ、私に考える時間すら与えぬように足早に去っていった。
たまたま出くわした学校の廊下の真ん中で、
高校一年生になり立ての私は茶道部部長に就任することに決まった。
戸惑いながらも、「部長」という言葉に反応し少しほくそ笑んだ。
授業では向き合っていたものの、
これが先生との人間としての出会いだったのかもしれない。
その後も先生は、授業はもちろん、クラブ活動、進路相談、
卒業後もいろいろと面倒を見てくださり、
私の母親が亡くなった時も遠くからからわざわざお参りに来てくださった。
私が社会人になってしばらくして、先生は学校を定年された後、
日本語の教師としてご夫婦で中国に渡ると聞いた。
後日談だが、いつから中国語なんて話せるようになったのか聞いてみると、
「いや、全然話せないんだ。僕は音痴でね、音痴の人は語学が苦手なんだよ。」と笑った。
失礼を承知で言わせて頂けるなら、
最初から外国語を話せない事に躊躇しないまま海外へ渡るなんて、
たいした度胸だなと感心させられた。
日本語の教師として行くと言えど、その地で暮らす訳なのだから。
小さく、「生活面での語学は妻に助けられた」という事も、付け加えられたが…
その中国に渡るという話を聞いてから一年以上が過ぎた頃、
私は自分の働くレストランの20周記念のご案内の中でコラムを書く事になった…。
・・・第4章に続く
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