追憶『第1章』
2010年6月28日
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子供の頃大嫌いだった事。
人前に出る事。体育の時間。文章を書く事。
今現在、こうしてコラムを書いたり、
職場のブログを更新しているのが正直信じられない。
もしタイムマシーンで過去に戻れるのなら、子供時代の自分に
「あんた、遠い未来に結構文章を書くことになるよ。」と教えてやりたい。
文章を書くのが嫌いなわりに、
子供の頃から親に毎日欠かさず日記を書かされたり、
転校が多く友達に手紙を書く機会が沢山あった。
友達に書く手紙は読み手を楽しませたい気持ちが
私の文筆力を活性化させ、アドレナリンが分泌し、
まるでそこに友達がいるかのような高揚感に陥った末に、
筆が進みすぎ7〜8枚も書くような事態を招いてしまう事もしばしば。
しかし学校で作文や感想文などを書かねばならない時の自分には、まるで感情が表れない。
原稿用紙を何で埋めるのかという憂鬱な時間が刻々と過ぎていく。
何かで感情が沸き起こったとしても、
その感情の表現方法として文章を利用する事ができなかった。
自分でもよくわからないが、友達への手紙は感情豊かに書けるのに、
学校という箱の中に閉じ込められると、
感情と文章は別物のように何故だか頭の中で区別されてしまう。
恥を承知でここに遠い過去の過ちを告白しよう。
小学校低学年の頃の夏休みや冬休みの課題の作文は
母親がほとんど書いていたといってもいい。
厳しい母親ではあったが、
それを上回る程、いうことを聞かない娘である。
「苦手な事から先に終わらせてしまいなさい。」
などと言う親の助言には全く耳を貸さない。
休みの最終日、原稿用紙を前に全く筆の進まない私を見て、
呆れ果てた母親は私のあまりの文才の無さに
業を煮やしながら手助けをしてくれる。
別に手伝って欲しい訳でも、それを期待している訳でもない。
なぜならば…
何も知らない先生は、ほぼ私の母親の作った文章を評価し私を讃えた。
子供心として、母親には大変申し訳ないが、はた迷惑な話しであった。
宿題は素晴らしくても学校で書かされる文章では何も書けないのだから。
原稿用紙の半分、たったの200文字を埋めるのさえもうんざりだった。
小学二年生の時に宿題で(母親が)書いた詩などは、
教室の壁にいつまでも貼付けられていた。
自分自身、こんな文章を私が書けるはずもない事を十分に承知していたので、
褒められたって先生の目を直視できる訳がない。
こんな自分が情けなくもあり、恥ずかしくもあった。
8才にして、人生初の自己嫌悪である。
強烈な恥ずかしさのあまり、今でもその詩を全文暗記している。
大変残念な事に、今だにその時の詩はその時の担任の先生の心に響いている。
長年に渡る恥ずかしい思い出での一つであるが、こうして告白するのは初めての事だ。
現在、自分で文章を書くようになったが為に、尚更、子供の頃の出来事とはいえ、
過去の過ちを自分の胸に秘めておく事が辛くなってしまったようである。
しかし、今更当時の先生に真実を打ち明けたとしても、
ご老体に鞭を打つ結果になる事であろう。
打ち明けず、罪悪感と共に生きていく事が
その先生に対する私なりの懺悔なのである。
そんな罪悪感に陥っても私の文章に対するやる気の無さは、全く変わらなかった。
さすがに小学校の中学年から高学年になる頃には、母親も私を見放した。
その頃から私には知能犯への素質が見え隠れしだした。
その才能は高校生で開花した。
夏休みの宿題である大嫌いな読書感想文で、見事「最優秀賞」を頂いたのだ。
それは、いつの間にか市で行われていたコンテストでも「佳作」に入選していた。
両親のあんなに喜ぶ顔を見た事がなかった。
自分にとってはそこが一番の驚きでもあった…。
・・・第2章に続く
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