Mother【第3章】
2009年1月15日
第2章からの続き
ごく最近になっての事だ。私が生まれた頃のアルバムを見つけた。
それは私が生まれた時の記録と、両親からのメッセージを書く覧があり、
母の思いが綴られていた。
調度母に不幸が続いていた頃だ。

しかし、三行目辺りから涙が込み上げ文字が霞み始めた。
「ママはとても悲しい思いをしましたが、貴女には悲しい思いと
苦労をさせたくないと、いつも心に思うことでしょう。
素敵な人生を送ってくれる事をママの夢と貴女に託しました。」と。
このメッセージを読んで、
やっと母と過ごした懐かしくて優しい時間を思い出すことができた。
そして、呵責から解放されたように感じた。
母が亡くなって九年という月日が経つ。
自分の心の成長なのか、周囲の温かい環境のせいか、時の流れのせいか、
今、母の死を思い出という形で穏やかに受け止められるようになった。
思い出すのは、ひまわりのような母の笑顔、そしてユーモア、プライド。
鼻歌を歌いながらキッチンに立つ後ろ姿。よく笑いよく怒った。
母の言った大好きなセリフ。
「女がお洒落をやめたら女じゃないのよ。」
質素ではあったが、いつもお洒落心を忘れない人だった。
それは着飾ることだけではなく、立ち振る舞いや女性としての嗜み、
会話のセンス、母の人生そのものを表すセリフであった気がする。
母であり姉妹であり親友であり先輩のような関係。
毎日家中ピカピカに磨きあげ、
「美味しい食事を作って、あなた達が帰ってくるのを
待っているのが私の仕事、そして私の幸せ。」
母はよくそう言って笑っていた。

多分、両親が愛してくれたという実感があるから、
私はここまで歩んでこれたのかもしれない。
よく言われることだが、いなくなって初めて、
いかに両親の影響を受けていたか、その存在の大きさに気付き感謝した。
一番悔やまれるのは、たった一言、
心の底からの「ありがとう」を伝えられなかったこと。
両親の死という事を経て、周囲がどれほど温かい手を差し延べてくれただろう。
それはもちろん両親の恩恵も含めてだ。
不器用ではあるが、自分のこの感謝の気持ちが
いつか誰かに伝わればいいなといつも思う。
だから人との関わりを大切にしていきたい。両親がそうしてきたように。
クッキーの缶に入っている、父から母に宛てられたラブレターは
大切に取ってあるが、私が読む事は生涯ないだろう。