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Mother
2008年11月20日

休日の、限りなく昼に近い朝、
まだ目覚めない体をなんとか起こし、
ぼーっとしながら外を眺めていた。

高い空、太陽がとても眩しい秋晴れの日。
外気は少し肌寒くなっているだろう。
こんな日に出掛けたら気持ちいいだろうな、と思いだけ巡らせる。

午前中の行動は苦手なのだ。

情けない話しであるが、私の午前中は、かなり動作が鈍い。
職場でも環形動物と異名をもつくらい…環形動物をご存知だろうか。
簡単に言えばミミズや蛭等の仲間達である。

自分をそれらの動物のようだと言われて認めたい訳ではない。
しかし否定もできない。

だから休みの日はなおさら夕方くらいまでぼーっとしていることが多い。
夕方から行動を開始するので吸血鬼という異名もある。
どうやら私は人間ではないらしい。

高い空と少し色づいたような、
まだ完成されない山々の紅葉を薄ぼんやりと眺めながら、
ふと母の命日が近づいていることを思い出した。

そういえば、出棺の時も確かいい天気だったな、と。
そして焼き場での最後の別れ際、狂ったように泣いた事も。


そう、出棺の時に晴れていたかなんて本当は覚えてなんかいない。
私は秋晴れの空が高く感じる頃、母に死が訪れたという事実を、
毎年肌で感じているんだな、と気付いた。


命日を忘れている訳ではない。
ただあの日を今でもあまり思い出したくないだけだった。

母は当時では珍しい一人娘であった為、
特別裕福な家庭ではなかったが、生活に困ることなく、
白いご飯を食べ、日本舞踊や習字を習い、
躾の厳しい私の祖母からまるでお嬢様のように育てられた。

娘の私が言うのもなんだが、
若い頃の写真はとてもお洒落で美しく華やいで見える。

父と出会い、結婚、二回の流産、
難産でやっと生まれた私に母は惜しみない愛情を注いでくれた。

人生の浮き沈みは誰にも予測できない。
よい時期もあれば、突然不幸が重なる事もある。
私が生まれた頃、母の人生はまさに不幸続きだった。
だから、生まれてきた私に唯一、夢と希望を託した。

いろいろな問題を乗り越え、
両親は人生を取り戻し、
私には愛情を与えてくれていた。

10年という長い年月を経て結婚をした両親はとても仲がよく、
見ていて恥ずかしいくらいだった。

そのせいだったのか、両親は私が20代半ばに相次いで亡くなった。
父が亡くなった時、すでに母の精神も、
どこかに消え失せたようだった。

私がまるで目に入らないように、
私の声が聞こえないように、
いつも遠くを見つめていた。

父が亡くなって二年後、
母は父の後を追うように亡くなった。

母は父が亡くなってから頻繁に、
「私が死んだら、棺桶に必ずこの手紙を入れてね。」と言って、
若い頃、父から送られた手紙を押し入れの奥から出し、私に見せた。

結婚する前に、母が父から受け取っていたラブレターだったのだ。

私は驚いた。

今までなんでも話してくれた母に、大切な秘密があったなんて、
そして筆不精だと思われていた父が沢山手紙を送っていたなんて、
露ほども知らなかった。


…第2章へ続く