写真:葉っぱ
名残の桜
さよならをしたあと
もう会えない人に
ありがとうを言い忘れたから
あなたの夢の中に現れていいですか
桜の花びらを拾い集めて
もう一度花吹雪 散らせましょう
散る花びらは 積もって行くさよなら
あなたとの別れは
ない花びらがもう一度散り行く痛み
けれど さよならのあとに 告げる言葉は
ありがとう
運命の豚
2009年3月16日
遠い昔の記憶
ある日学校から帰ると豚がいなくなっていた・・・
家の周りの牧草を素手でかき集め、
豚に与えるのが毎日の仕事だった。
豚は私によくなついていて、
近寄ると、喜んで牧草を食べた。
日に日に豚は太っていった。
私が7歳まで、家は畑作農家だったが、
馬、牛、山羊、鶏、豚などの家畜も飼っていた。
借りていた土地は傾斜していたため、
雨が降るたび、斜面から土が少しずつ流れていくような悪条件の場所だった。
両親はこつこつと努力はするものの、焦燥感は否めなかっただろう。
畑では主に、豆、芋、麦、蕎麦、えんばくなどを作っていて、
収穫したそばで、母はよく手打ち蕎麦を作ってくれた。
羊は3頭飼っていて、毛を刈り取ったあと、
加工してもらって母はセーターを編んだ。
一頭で、2〜3枚分は作れたらしい。
お風呂は家の外に作りつけの五右衛門風呂だった。
私たちきょうだい3人は狭い湯船によく一緒に入って、
空を見上げながら、星を探す競争をした。
「一番星見いつけた、」
「2番星見いつけた」
その声は野山に響いていたことだろう。
両親は「あの豚は太っていい豚だ」と、よく口にしていた。
私は、自分がえさを与えている成果だと思い、
自分が褒められているようで、内心自慢だった。
ある日いつものように、腕いっぱいに牧草を抱えて
向かった先に豚はいなかった。
「あの豚は高く売れた」と喜ぶ母の言葉が、
腕の中の牧草にむなしく響いた。
私はそうなる運命とも知らずに世話をしていたのだ。
可哀想な運命の豚だった。
運命の豚以前に何頭か飼育していた豚は
放牧で育てていたそうだが、
畑の穀物を食べ荒らし、悪い事をするので、柵に入れられた。
けれど、一度自由を味わった豚はその開放感が忘れられずに、
柵を乗り越えて、脱走したのだ。
そして保管してあった、大豆に手をつけた。
豚はとどまることなく、たいらげてしまい、
大豆はお腹の中で膨張して、ついに腸が破裂して、死んでしまった。
死んでしまった豚は両親が食べたそうなのだが、
「美味しかったわ・・・」と、平然とのたまう母って一体・・・。