写真:葉っぱ
After That
風にめくれても
すぐに元に戻れたのに
いつも間にか そこに折り目が付いて
簡単に折れやすくなっていた
少し破れかかっても
それ以上広がらぬよう 押さえていた
殴り書きされ 線引きされ
夢を語ると折りたたまれた
けれど 色褪せていく時間を 見送るだけの
白紙のままではいたくない
僕は絵になりたい
写真になりたい
花束を包む紙になりたい
僕は僕のやり方で
小樽
2009年2月17日

海を見に行こうか・・・
どちらから言い出したのか覚えていない。
私達は18の冬だった。
職場の裕子はきまぐれで、自由奔放だった。
仕事が終わる頃には、すっかり暗くなっていたが、
小樽行きの列車に乗った。
裕子の髪は、仕事の内容に似合わず金髪で、
キャンディーズのものまねが得意で、
「私たちは幸せでした」を連発した。
そして時々嘘をついた。
けれどその話術に引き込まれるのが常だった。
あとになって知ったが、高校を半年ほどで中退していたはずなのに、
よく高校での出来事を聞かされた。
ディスコで補導された話、食い逃げや、
かつあげの話し、母親のミスで火事で家を失った事や、
先輩に呼び出され、長すぎたスカートの裾をカミソリで切られた真似をして、
人差し指と中指で、かみそりを高く振り上げるのだった。
彼女と一緒にススキノに遊びに行くと、混雑している時でも、
顔パスで並ばずに店に入った経験が何度かあり、私を驚かせた。
私たちは夢をかなえる為に夜も時々バイトをしていて、
実家が遠かった彼女は、私のアパートに寝泊りしていた。
そして、先に仕事を終え、寝ている私を起こし、
「オセロしようよ」と言って、オセロ盤をベッドの脇に広げるのだった。
私と対戦した後は一人オセロで腕を磨いていた。
早熟な彼女は大人びていてスリリングさを求めると同時に、
時に疲れた表情を見せた。
若さはいつもとげとげしくて、
時間を何かで埋める事で、心の隙間を埋めていた。
ギザギザしたものを閉じ込めてはいられなくて、
吐き出す術をいつも求めていた。
あの時、何故あんな吹雪の夜に小樽に向かったのだろう。
列車を降りても吹雪はおさまらなかったが、目的地の港の方へ歩き始めた。
こんな吹雪の夜に港へ向かう私たちを他人が見たら、
かなり怪しい人物にみえるだろうね。
そんな事を会話しながら歩いていた。
私と裕子に共通のものなどなかった。
若さは一枚の紙のようにしなりやすく、薄くて破けやすいけれど、
時には知らないうちに、鋭い切り口で、自分の手を傷つけていたりする。
私達は自分の中に吹き荒れる風を静めるために、
もっと強い風で、封じ込めなければならなかった。
不条理な社会に足を踏み入れて、妥協というものを受け入れるために。