拾うなら 月の夜 薄明かりの海
青白い雲が月を隠してしまわぬうちに
救いとりなさい 闇に揺れる言葉を
捨てるなら 真昼の海
涙は心を引き止めるから
光に反射し 眩しさに紛れるその時
失ってみて初めて気付くものがある
これが最後とわかった時に
人は何故 こんなにも優しくなれるのだろう
その気持ちを忘れないように
時々この海に会いにおいで
理由よりも必要なのは きっかけだから
霧多布岬
2008年6月19日
「海で死んだ人は 皆かもめになるのです」
海へ行くと、かもめに目線がいくのは、
18歳の時読んだ寺山修二さんの詩の一節が
ずっと胸の奥にあるからだろうか・・・。
「霧多布岬へ行きたい」 ただ漠然と思っていた。
ただ霧多布というその名に魅かれ、
そこに含む意味を確かめたかった。
一度目は、11年ほど前、
嫌がる家族を強引に連れ出し出掛けたが、
途中で子供達が体調を崩し予定変更。
摩周湖止まりで終わった。
リベンジをしたのはその5年後の8月だった。
岬周辺の霧多布湿原は、
花の時期的は終わりかけだったが、
まだ十分に楽しませてくれた。
一番印象に残っている花は、
名前が可愛らしい‘風露’(ふうろ)という花だった。
※開花時期は7月半ば〜8月半ば
ピンク色の小さな花びらは名前のとおり、とても可憐だった。
道東は霧が多いせいなのか、海岸の岩場ぎりぎりまで植物が生育していた。
“7月上旬、霧多布湿原はオレンジ色のエゾカンゾウに包まれる。
琵琶瀬や仲の浜の木道が絶好のポイント。
この花が花を咲かせるのは一日だけ。
朝日とともに花を開き、
夕暮れとともにしおれていき先端につけた蕾が引き継いでいく。”
(参考資料:花の湿原・霧多布 伊東俊和)
8月に行ったので少しではあるが
ヒオウギアヤメヤカンゾウを目にする事が出来ラッキーだった。
霧多布岬は、まさに私のイメージ通りだった。
たくさんのかもめは不気味に低空気味に飛び、
その鳴き声は悲しげにララバイのように響いていた。
断崖は鋭く、緊張感のある高さと険しさがあった。
そして岩に激しく打ち付けられる波。
私が勝手に作り上げた霧多布岬のイメージが、
すべてそろっていた。
そこに立つ事で、そこに魅かれた意味は成立した。
そして
その余韻はしばらく続く事になる。
そこに自分を向かわせるものに
理由など関係なくて
ただきっかけだけが必要だった。
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