原点回帰
2010年5月3日
僕は高校一年生からスノーボードをしていた
同年代や年上の人達に揉まれ、沢山の刺激を受けて自由に成長した
当時から写真家や映像製作者、音楽系、
アクセサリーやステッカー製作などなど、様々な分野のクリエーターが居た
僕にとってモノ作りというものは特別なものではなかった
当時通ってたボードショップの人にビデオカメラを触らせてもらう
自分が滑ってる映像を沢山撮影してもらった、
自分の動きを初めて見せて貰った時は感動した
映像の素晴らしさに触れた瞬間・・・その感動は今も覚えている
僕は必然的に映像というものに出会ったのだ
ここで僕の勝手な持論をひとつ
ハゲなどは隔世遺伝すると言われている、
僕は趣味や嗜好も隔世遺伝すると思ってる
僕の父方のお爺ちゃんは、
フィルム一眼レフをいっぱい持ってて写真が好きだった、
僕も写真と動画を好きになった
僕の友人は、お爺ちゃんが札幌を代表する画家さん、
孫は画家を目指し絵を描いてる
あくまで僕の勝手な意見・・・
遺伝子レベルの話なので絶対違うと思う
でも僕はそう思ってる
4年間働いた会社を2010年3月31日で退職した
色々悩んだ結果の退職だった
北海道には動画撮影+編集の仕事が極端に少ない
そこに身を置いて働けた事は僕の人生にとって良い経験となった
働き始めた頃は、仕事のスピードが遅くて毎日残業ばかり・・・
入社後一週間で残業が始まった
そこから一年目位までは早く辞めたいって気持ちで働いてた
僕の考え方が変わったのは会社の中に尊敬できる人が出来たからだった
その人は僕のいろんな相談に乗ってくれた
仕事の事、人生の考え方、自分のあり方、様々な事を教えてもらった
その人が居たから今の自分が居る
入社二年目以降となれば仕事にも会社にも慣れていく
自分なりに充実した毎日を送っていた
でも心のどこかで違和感を感じてた
屋久島での登山中に深い穴に落ちかけた時考え方が180度変わった
自分は満足した人生を歩いてきただろうか?
大げさだがそう思った
答えは単純、満足していなかった
脳みそがその考え方に変わった時、
自分が後悔しない道に突き進もうと決めた
屋久島旅行後に退職を決意する
モノ作りをしている人や芸術家を紹介するホームページを運営したかった
現時点では壁にぶつかり話は止まってる
でもこのサイトを運営したくて会社を退職した、
壁にぶつかったからといって引く事はない
北海道のモノ作り文化や芸術文化を振興する事を目標にする
僕は縁という言葉の響きや意味が好き
そして森 信三さんが言ったこの言葉が好き
「人間は一生のうち会うべき人には必ず会える。
しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」
森 信三
それに尽きる、もう出会ってるかもしれない、これから出会うかもしれない
長いようで短い人生の時間、縁を感じた人に会うべき時に会いたい
相手も自分に縁を感じてくれる、そのぐらい魅力溢れる人間でありたい
縁と自分の力を信じてこれからの人生を生きていく